人生後半戦の大きなイベントに定年がある。定年がない仕事をしている人は定年の代わりに引退がある。定年も引退も仕事をすることを辞めるのではなく、今の仕事を続けることを止めることを意味する。
定年になっても仕事や働き方を変えて働き続ける人は多くいる。その目的は経済的に苦しいからだけではなく、苦しくはないが余裕を持ちたいという人がほとんどだ。
日本人は勤勉なのだろうか、それとも
経済的格差による貧困問題が生じている。経済的格差とは収入格差であり、貧困問題とは低収入から脱する術が少ないことが問題の本質である。特に働けない人が低収入に喘いでいるのが現状だ。
日本人は勤勉だと日本人自身も思っている。その根拠は何だろうか。そのほとんどがマスコミが扱った報道ではないだろうか。もし勤勉ならブラック労働は問題にはならないだろう。
平成31年1月付けで内閣府から「老後の生活設計と公的年金に関する世論調査の概要」
が発表された。この資料を見る限りは「本当は働きたくないが生活資金のために働く」という日本人の姿が見えてくる。
働くのを辞めたい年齢は61歳~65歳までが30.7%、66歳~70歳までが20.5%となり、60代で働くこと辞めようとしている人がいことが多いこと分かる。また全年代を通しても70歳で仕事を辞めたいという考えは共通している。
老後の計画は50歳から、考えたことがない人も
「老後の年齢が近くなったから」という理由で老後の生活設計を考え始める人が50歳から急増する。やはり目前にならなければ考え始めないのだろうか。
老後の生活設計を考えたことがある人が1979人いるのに対し、考えたことがない人が915人いるのには驚いた。50歳を過ぎても「将来の話・生活設計の立て方が分からない・考えると不安になる」という回答にはさらに驚いた。
人生後半戦の計画を立てるどころか、できれば年金をもらって働かずに暮らして行こうという人が多いこと、さらに老後の計画について考えていない人が多いのが実態のようだ。
このような世論調査から考えられることは日本人は勤勉ではなく、憲法に定められている勤労の義務の下に受け身で働いているにすぎないのだろう。
人生後半戦の生き方をパターン化すること
人間は法則が好きである。決まったパターンを見出し、そのパターンに従えば考えなくて済むからだ。日本人はパターン化されるとそれに従ってしまう傾向が強い。
「仕事=給料>定年=無職>老後=年金」というパターンが沁み込んでいるのだろう。いつまでも仕事の仕方は、殿様と家来、領主と領民、天皇と臣民というような二極ヒエラルキーが沁みついているのかもしれない。
自分が考えなくても誰かが考えてくれる、誰かが考えてくれたことに従えばよいうという考え方が蔓延ている。老後の生活設計という世論調査を見ている限りはそう思えて仕方がない。
自分の人生は自分のものである。人生後半戦になっても自分の人生は自分のものである。誰かに考えてもらうものではない。自分でオリジナルの生活設計を立てなければならないのだ。
人生後半戦の生活設計を立てるには
人生後半戦の生活設計を考えるには、自分がどうしたいかを考えると同時に自分を取り巻く環境を知らなければならない。国が発表する公式な文書は多々ある。国が発行する文書は政治・行政の正当性を主張していることを差し引いて読むことが肝要ではあるが。
また巷にはいわゆる定年本と呼ばれる人生後半戦について書かれた本が出回っている。どれもこれも間違いではないが、著者・編集者に都合のよい内容が多い。特に金融・生保が絡んでいる本は推して知るべしである。
定年本に書かれているのはパターンの1つであり、最善の方法ではない。最善の方法は自分に合った生活設計であるから、自分で作るしかないのである。