人生後半戦の新おとな学 Ver.2

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ひとりとつながり、どちらがよいのか

ひとりとつながり、どちらがよいのか|新おとな学 Ver.2

 

 つながり全盛時代の後は、つながっていることが当たり前になり、つながっていないと不安になるという人も多くなっている。一方でつながり疲れを起こしている人も出始め、ひとりという状態に注目している人もいる。

 

ひとりとつながりと欲求5段階説

 

マズローの欲求5段階説はご存知だと思う。この中でひとりとつながりがどの欲求に関わるかを考えると、ひとりは生理的欲求と自己実現欲求、つながりは社会的欲求と承認欲求に関わる。

安全欲求はというと自分の安全が第一ではあるが、つながっていることによって危険になることも安全になることもある。つながりを持つ相手によりけりということだ。

ふだんは集団の中で社会生活を送っていても、ふとひとりになりたいと思うことはないだろうか。疲れているとき、考えごとをしたいときなどひとりになりたいと思うだろう。

欲求は段階的に積み上がらずにそれぞれが独立して存在している。時と場合によって都合よく段階を飛ばすことがあり、ひとりになりたい、つながりたいという気持ちが交錯して現れる。

 

ひとりかつながりかという二者択一

 

老後の孤独に関してもひとりで老後を生きるという選択もあれば、家族と老後を生きるという選択もある。どのくらいの人が老後を家族と暮らしたいと思っているのだろうか。

2016年(平成28年)の国民生活による生活調査で「老後は誰とどのように暮らすのがよいか」という設問に対して、3人に1人という一定数の割合で「子供とは別に暮らす」と回答している。

また同じく2016年の産経ニュースでは「老後は1人暮らしが幸せ 家族同居より生活満足」と報じられている。世論調査やマスコミの記事は結果ありきの内容が多いが、「ひとり」を選択する傾向は超々高齢社会でもあるということがわかる。

1人暮らしだからといって家族とのつながりをまったく持たないということではない。一人暮らしでも家族とのつながりは維持しており、ひとりかつながりかという二者択一とは限らない。

 

 

 

孤独の問題はひとりではなくつながり

 

孤独は健康を害するという研究結果がある。多くは海外の研究である。海外では個人主義が主流、日本は集団主義が主流と考えると、個人主義の孤独と集団主義の孤独は異なるように思う。

個人主義ではつながりを持つことが社会的に必要であるという理論が成り立つが、集団主義ではつながりを持っていること、つながらなければならないことが前提になる。

ひとりになりたいと思ったらいつでもひとりになれる個人主義の考え方と、ひとりになりたくてもなかなかひとりになれない集団主義の考え方は異なるのではないだろうか。

日本では集団主義が根底にあるとすれば、ひとりになりたいという人が一定数の割合がいても不思議ではない。むしろひとりになりたい、孤独を楽しみたいという人の考え方も認めるべきだと思う。

 

ひとりとつながりのバランスが大切

 

ひとりがよいのか、つながりを持つことがよいのかという二者択一で決めることはない。時と場合によって異なるのだ。大切なのはひとりとつながりのバランスである。

家族で暮らしているなら、家族とのつながりを持つ時間のバランスがみな同じであればストレスはないだろうが、もしバランスの度合いが大きく違うのであれば問題である。

集団の中にいても孤独を感じるという人がいる。それは孤独ではなく自分の社会的欲求(所属欲求)や承認欲求のズレによって発生しているのだ。

ひとりでいることが好きで他者との関係を積極的に持たない人もいる。社会的責任を果たしているのであればひとりを楽しむべきだし、周りも認めてあげればよいだけだ。

 

好き勝手に生きるのはよくないが

 

社会生活の中で周りを気にせずに好き勝手に生きている人と周りを気にしながら遠慮がちに生きている人ではどちらがストレスがたまらないだろう。前者だと思うのではないだろうか。ではどちらが善い人だと思われるだろうか。後者だろう。

ひとりとつながりはバランスの問題であり、孤独だけを問題視するのではなく孤独から生じる孤立の原因を問題視すべきではないだろうか。