人生後半戦の新おとな学 Ver.2

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人生後半戦には本当の自立が試される

人生後半戦には本当の自立が試される|新おとな学 Ver.2

 

 

「孤独」は大きく「ひとり・さびしい」という2つのことをイメージする。

「ひとり=さびしい」ということではない。

「孤独な生活」はひとり暮らしとさびしい生活という2つの側面がある。

 

 

 

「さびしい」とはどういうことだろう

 

「ひとり」という状態はわかりやすいが、「さびしい」という状態はどういう状態なのだろうか。さびしいという感情は誰にでも経験あるだろうが人それぞれ違う。

他者と意思の疎通がしたいのに相手がいない、疎通がうまくいかない、拒否されるというような状態のときにさびしさを感じることがある。これは外向きのさびしさである。

自分の考え通りにならない、自分の考えが伝わらない、自分の考えが否定されるというようなときにもさびしさを感じる。むなしさとも言える。これは内向きのさびしさである。

いつもは家族がいるに今日はひとりだ、体の調子が悪くて元気がない、このようなときもさびしさをかんじることがある。これらは環境にの変化によるさびしさである。

 

孤独な暮らしとさびしい生活

 

あえて暮らしと生活とういう2つの言葉を使った。孤独な暮らしはさびしい生活とは限らないからである。孤独はひとりを楽しむという意味でも使われるし、またさびしさを強調するときにも使われる。

たとえひとり暮らしをしていても、連絡を取り合う家族もいるし、友人知人がいる場合はさびしいとは感じないだろう。今日は1日誰とも話さなくても毎日誰とも話さないというわけではない。

一方で家族と同居しているにもかかわらず、毎日働きに出ているにもかかわらず、さびしさを感じる人もいる。会話もする、一緒に行動する人がいてもさびしさ感じる人もいる。

集団の中で感じるさびしさとは、前回の記事に書いたように「マズローの欲求5段階説」のなかの社会的欲求(所属欲求)・承認欲求が満たされないから生じているのだろう。

 

 

 

孤独と孤立、自立と依存の関係

 

孤独と孤立は似ている言葉だが意味は違う。孤独は英語で「solitude / loneliness」、孤立は「isolation」である。isolationは「分離されている、関係を持てない」という意味が強い。

似ている言葉なので前後関係で判断はできるが、孤立は社会問題とされている差別・格差を誘発するように使われている。確かに孤独は孤立する原因になるかもしれないが、孤独自体を社会問題化することはない。

孤独は精神的・心理的な状態であり、孤立は物理的な状態であるとすると、孤独の前に考えなければならないことがある。自立と依存についてである。

自立心が強い人と依存心が強い人ではどちらが孤独を感じやすいだろうか。私は後者のほうが孤独を感じやすいのではないかと思う。

ただし、同じ人でも時と場合によって自立心が強い分野と依存心が強い分野があるのではないかとも思う。すべての分野において自立心が強く、自立できている人は多くはないだろう。

 

生活自立・経済的自立だけではない

 

生活自立とは日々の生活動作・生活習慣において自分のことは自分で行うという自立である。経済的自立とは自分で生計を立て、自分で収支を管理できるということである。

精神的自立とは自分自身を自己として客観的に見ることができることを指す。他者に依存しないことが精神的自立ではなく、自分ができる範囲を客観的に判断できる能力があることだ。

社会的自立とは他者との関係を単に持つだけではなく、ときには他者を受け入れ、ときには自己を主張するという関係を持つ能力を有することである。

4つの自立心をすべて持ち合わせることは理想的ではあるが、自立の強さにもよるだろう。また4つの自立心のバランスを取ることも重要である。

 

人生後半戦には本当の自立が試される

 

大人になれば誰でも一人前になり自立していると考えることが孤独と孤立を生む。一人前でもなく自立できない人ということではなく、誰でもそういう状態になることはありえる。

そのときは孤独感を感じるかもしれないが、孤独感に押しつぶされては孤立してしまう。孤立しないためには時と場合に応じて自立バランスを持って暮らすことが大切なのだ。