老後の「3K」である「お金・健康・人間関係」は人生の3Kでもあることは以前にもお話した。
ではなぜ「老後の3K」とフォーカスされるのだろうか。マスコミが煽り過ぎるからということではない。そもそもの考え方に原因があるのではないだろうか。
時間とお金の問題のすりかえ
お金の問題とは支出の問題である。支出に対応できるだけの収入がないことが問題となる。では収入を増やすにはどうしたらいいだろうか。収入に対応する時間を増やすか能力を上げるか、または支出を減らすしかない。
収入を上げる場合は、能力を上げるにしても経験とスキル(技能)が必要になる。つまり単純に収入を上げるためには何らかの時間が必要になるわけだ。
人生後半戦には老後と同じように老前がある。何歳が境界かという決まりはないが、老前と老後では時間の使い方が変わり、自ずと 収入を上げるための時間の使い方も変わってくる。
老後は働ける時間が少なくなるという人生設計が前提にいなっているし、また社会設計も老後の時間は少ないという前提になっている。果たしてそうだろうか。固定観念ではないだろうか。
老化と健康の問題のすりかえ
年を取ってくると誰でも体や頭の不調や衰えを感じるものだ。体の不調は人生後半戦であろうとなかろうとその時々によって生じ、年齢とは正比例していない。
本来は老化による体の衰えでも健康問題として体の不調と感じてしまう。 逆に健康問題によって発生している体の不調を年だから判断して見過ごしてしまうこともある。
健康と老化の問題は、前述のお金と時間の問題とも関係している。収入を上げる最有力の方法は仕事をすること、働くことである。ただし仕事をする、働くことの前提は健康であり、老化による衰えがないことが前提になっている。
健康の問題は誰にでも起きるとは限らないが、老化の問題は誰にでも起きる問題である。現在の労働環境は健康で老化が進んでいないことが前提になっていると思われるが、これも固定観念ではないだろうか。
共有社会と人間関係のすりかえ
人間関係の問題も老後に限った問題ではない。老後も老前も、社会人であろうと義務教育前の子どもであっても起こりうる問題である。問題の質が違うだけだろう。
人間関係は他者と共有するモノとコトがある限り年齢に関係なく発生する。共有するものとコト、特に場所と時間が変わると人間関係は大きく変わる。
職場の人間関係と家庭での人間関係は多くの人が経験する。個人または在宅で仕事をしている人は職場と家庭での人間関係が重複している。人間関係というのはそもそも複雑なのだ。
老後の人間関係の問題を「孤独」とすりかえている傾向があるように思う。孤独が問題ではなく「孤立」が問題なのだ。共有社会にいながら孤立するのでは社会参加を拒まれているの同じだからだ。
定年後に職場を変えたり地域デビューを促す考え方もあるが、安易に考えてはいけない。新しい共有社会に入るときは新人と同じなのだ。高齢者を暖かく迎えてくれるとは限らない、ここにも固定観念という壁があるのだ。
人生後半戦の老前の考えは老後には当てはまらない
老前と老後の境界線は、以前は定年年齢であった。現在は年金受給年齢と言えるだろう。70歳まで年金受給を繰り下げするのであれば70歳から老後になる。もしくは生活に必要な収入源が確保されたときから老後を始めることができるとも言える。
「お金・健康・人間関係」は人生にとって重要な要素ではあるがすべてではない。「お金・健康・人間関係」に問題があると思う人は、「お金・健康・人間関係」の裏側にある問題を考えてみてはどうだろう。
今まで当然だと思っていた固定観念で老後を生きる時代は終わったことに気づかなければならない。
もはや高齢化社会ではない、超々高齢社会なのだ。
人生100年時代と考えると長寿は明るい未来と考えがちだが、超々高齢社会と考えると社会問題が見えてくる。そして社会問題は自ら考えることで解決していかなければならない。