おいしいものはおいしいに決まってる、どんなふうに食べてもおしいものはおいしいのだ、と思っているだろうか。おいしいものをわざわざまずくして食べてはいないだろうか。人生後半戦は「おいしいものをおいしく」食べたいものだ。
おいしいとは味がよいこと
味がよいの「よい」を漢字で書くと「良い」になる。良いの反対は悪いなので、味が良いの反対は味が悪いとなる。味が悪いことを「まずい」という。これは味が足りないということである。(参考:語源由来辞典)
味が良い悪いというのは抽象的な表現であり、何かを基準にしているのではない。同じものを食べても人によって味の感じ方は異なるし、同じ人でも時と場合によって異なる。
また、とてもおいしい、少しおいしいなど、同じおいしいでも程度に差がある。単に味がよいという評価だけではなく、味覚という感覚を共有するための表現でもある。
おいしいには「好き」という意味が多分に含まれている。そもそも好きか嫌いかは個人差があってもおかしくない。「おいしい」は自分はこの味が好きと言っているのと同じことだ。
おいしいものとはどんなもの
「おいしい」が好きなものであれば、「おいしいもの」は好きな食べものということになる。人生後半戦であろうとなかろうと好きな食べものは誰にでもある。
好きな食べものを食べる自由は誰にでもある。好きなものをどのように食べようと個人の自由だ。たとえなんにでもマヨネーズをかけようと、たっぷりと醤油やソースを漬けようとだ。
では、おいしい味とはどんな味だろうか。味には「甘味・塩味・酸味・苦味・うま味」という基本の五味に「渋味・辛味」を加えて七味という味の種類がある。
これらの味はそれぞれ単体の味の表現であるが、甘じょっぱい、甘ずっぱい、うま辛いなど、複数の味の相乗効果もある。程度も含めると味の数は無限であり、おいしさも無限になる。
おいしく食べるとはどういうこと
甘いものをそのまま食べて甘いのは当たり前だが、甘いものに違う味を加えて食べることもある。またなにかを加えて味の変化をさせることを「あじへん」するという表現もある。
甘いものをそのまま食べるということは、そのままの味を味わうことに他ならない。素材の味を楽しむとか、素材の味を活かすという食べ方である。
おいしく食べるという考え方は好きなように食べるということではなく、そのままの味を楽しむという食べ方だと考えることができる。これは単に食べ方のひとつの方法でしかないが、人生後半戦にはこの食べ方を提案したい。
そのままの味を味わうということはけっこう難しい。なぜなら人生後半戦になるまでに味付けされた味がおいしい味として記憶されてきたからだ。
おいしいものをおいしく食べるために
おいしいものが素材、おいしくというのが味付けならば、記憶されている味付けをリセットすることから始める必要がある。
味は舌にある味蕾で感じる。味蕾の数によっても味の感じ方が違うそうだが、味蕾は10日間で再生される。ということは20日後にはすべての味蕾が新しくなるという計算になる。
私は減塩生活を送っている。減塩生活を始めるにあたり最初に行ったのは「塩抜き」である。1日6gという塩分量の味付けに慣れるために3週間~4週間かかった。経験的にも味付けのリセットには3週間以上かかる。
味付けのリセットができると、今まで食べてきたものがしょっぱく感じるだけではなく、味そのものが違うように感じる。特に塩気の少ない肉の味は違い、肉そのものの味がわかるだけでなく、塩味でごまかしていたのかと感じるほどだった。
自分で感じたおいしさを大切にする
人生後半戦になるまでの経験で作られた「おいしさ」は自分で感じたおいしさではなく、誰かによって作られた、もしくは誘導されたおいしさかもしれない。
グルメ情報をチェックし行列に並ぶ様子は珍しくなくなってきた。その結果感じたおいしさとは自分のおいしさではなく他の人のおいしさかもしれない。
人生後半戦は自分のおいしさを感じるために味のリセットを一度してはどうだろうか。
(つづく)