人生後半戦の新おとな学 Ver.2

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人生後半戦の食事は何を食べるかよりも

人生後半戦の食事は何を食べるかよりも|新おとな学 Ver.2

 

 

前回までに「うまい」と「おいしい」、「おいしいものをおいしく」について考えてみた。「食べる」という行為は食べる対象であるモノについて語られがちであるが、今回は食べるコトについて考えてみたい。

 

 

何を(what)、どのように(how)、なぜ(why)、誰と(who)

 

食べるものについて語るときは、何を(what)、どのように(how)、なぜ(why)食べるかということに主眼を置く。生きるために食べる、健康によいものを食べる、栄養のあるものを食べる、そしておいしいものをおいしく食べる、となる。

なぜ食べるかという考え方には誰と(who)食べるかも含まれるが、ここでは別に考る。「誰と」にはひとりきりで食べる孤食(個食)も含まれる。食べるコトとは文字通り「食事」である。

人生後半戦になるまでにはいろいろな人と食事をしただろう。誰かと一緒に食事をするとよりおいしく感じるだろうか、それともひとりで食べたほうがおいしく感じただろうか。

一緒に食べるということは、同じものを同じように食べるという情報共有の場を持つことになる。「今度食事でも一緒に」というのは食べることが目的ではなく情報共有が目的なのだ。

 

食べるモノよりも食べるコト

 

人生後半戦になると食べるモノに対する興味が増していく人と興味が薄れていく人に分かれる。ところが大方の人は誰と食べるかについては興味を持たなくなる。

ひとりで食べるのが当たり前、家族で食べるのが当たり前になってはいないだろうか。家で食べる食事が一番おいしいという人もいるけれども、それは味がよいという意味ばかりではない。

好きな人と好きな環境で好きな味付けで食べる食事が一番おいしいと感じるのだろう。同じ家族で食べても不機嫌な家族がひとりいるだけで味は一変する。

食べものは味覚で感じるが、食事はすべての感覚で味わう。目の前の食べものだけではなく、過去の記憶、未来への期待などを含めてトータルで味わうものだ。

 

 

 

人生後半戦の「こしょく」とは

 

「こしょく」にはいろいろな当て字がある。「孤食」は孤立、孤独と同じような意味で使われ、独りで生活しているためにひとりで食事をすることを指す。会食する機会を持つ、持たせることで情報の共有ができるようになり孤食は避けられる。

「個食」は食事のタイミングが個別に行われるという意味の当て字である。時間を有効に使うには便利な方法だが情報の共有はない。食事のタイミングを合わせるための時間管理を行うことで個食は避けられる。

「固食」は同じ献立を繰り返す固定した食事内容を意味する。孤食は独りで食べるがゆえに固食になりやすい。また食事制限などで個食となる場合も固食になりやすい。いずれも周囲の協力が必要になる。

他にも「こしょく」の当て字はある。特に人生後半戦の食事は望むと望まざると孤食になる傾向がある。これを避けるためには周囲の力も必要だが、なによりも本人が孤食を望まないことが必要だ。

 

最後の食事は何を・・

 

よくある質問に「死ぬ前の最後の食事に何を食べたいか」というのがあるが、なんと答えるだろうか。私は「おいしい水」と答える。では「死ぬ前の最後の食事を誰と食べたいか」と質問されたらどうだろう。私は「ひとりでいい」と答えるだろう。

今までの話と矛盾しているように思うかもしれない。誰かと食べたいと思わないわけではない。一緒に食事をしたい人が多すぎるのだ。一緒に食事をしたい人はよい思い出がある人ばかりなのでひとりを選ぶわけにいかないのだ。

人生後半戦になって何を食べるべきかということも重要だが、人生後半戦は誰と食べるべきかも常に心に留めておくべきだろう。

 

死ぬまでにあと何人の人と食事ができるかも大切だ

 

私は1日6gという減塩生活を送っている。なので会食にはあまり参加できない。人生後半戦になるとあと何回食事ができるかと考える人もいるが、私はあと何人と食事ができるかを考えている。

そして毎日ではないが、家族と食事ができる幸せを改めて感じているし家族に感謝している。