人生後半戦の新おとな学 Ver.2

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余生と余命、残り時間をどう生きるか

余生と余命、残り時間をどう生きるか

 

人生100年時代と言われて数年が経つ。元号も5月1日に替わる。平成を振り返る作業がやたらと行われている。元号が替わるからといって時代が変わるというわけではない。時間は連続しているのだ。

 

 

余命と余生、そして与生を生きる

 

余命と余生は同じようにして使わることが多い。余命も余生も一生の残りの期間を指す。とはいっても命の終了時刻が明確にわかるわけではないので、おおよその期間しかわからない。

余命という言葉を使うときは命の終了を意識したときに使い、余生という言葉を使うときは余命という期間をどう生きるかという意味で私は使っている。

私は心筋梗塞で九死に一生を得た。いやもっと状況は悪かったらしく、あと10分遅かったら助からなかったかもしれないとICUで目覚めたときに言われた。

ということは一度死んだと考えれば、今生きている時間はまさしく余生であり与生である。心筋梗塞後の時間は天から与えられた時間という感覚になり、時間に対する考え方が変わった。

心臓発作と呼ばれる急性心筋梗塞症は、30年前には入院しても20~30%の方が亡くなる病気でした。それが、現在では入院した場合、亡くなる方は5%にまで低下しています。しかし、これは幸い早く病院へ到着した方の場合です。実は、病院へたどり着くまでに重症となり、突然亡くなる場合が少なくない病気でもあります。

参考:国立循環器病研究センター

 

時間の管理はなんのために行うのか

 

会社勤めをしていた頃から時間管理は行っていたし、自分で仕事を始めるとなおさらのこと時間管理は徹底するようになった。両親の介護が始まり仕事にかける時間が少なくなると、時間の捻出のためにさらに時間管理には厳しくなった。

両親の介護も終わり、やっと自分のための時間を増やすことができると思いだしたときに心筋梗塞をやらかしてしまった。今は日常生活に気をつけてはいるものの以前とは時間の使い方が大きく変わった。

以前はGoogleカレンダーを使い、1日・1周間・1ヶ月・1年、そしてイベント毎の時間管理を行っていた。イベントというのは仕事でいえばプロジェクトみたいなもんだが、仕事の他にも旅行や他の趣味の予定・ボランティアの予定・プライベートの記念日の予定などだ。

 

 

 

意味ある時間をつくるために

 

1年間の計画をたてるときに、以前なら健康状態も気にせずに1年後も命があることを前提に予定を組み時間管理をしていたが、今は違う。

最初に1年後に命があるように、健康状態が良好であるようにすることから計画を練り予定を立てている。この計画と予定が立たなければ他の計画も予定も立たない。

命あっての物種、健康あっての物種というが、使える時間あっての物種である。「1日という時間は誰にでも24時間で平等である」のは確かではあるが、1年先まで続くかどうかはわからない。命の時間という意味では不平等であるが当たり前の話である。

1年という時間を割り振るのではなく、ひとつひとつの時間に意味をもたせるように計画をし、予定を立てるようになった。予定した時間を過ごすためにはどうすべきかということを常に考えるようになった。

 

休憩・休暇を最初に考える

 

会社勤めをしていた頃は決まった休憩時間があったが、残業をしたくないので休憩時間はあまり取らなかった。休日・休暇も会社の予定に合わせて取ることが多かった。

自分で仕事をするようになってからは仕事をする時間を自分で決めることができたので、会社勤めの頃よりは自由に休日・休暇は取れた。とはいっても仕事優先の日々だった。

両親の介護が始まると介護優先の日が続き、介護と仕事のバランスが取れないばかりか、日常生活にかける時間も十分に取れずストレスが溜まった。これが心筋梗塞の要因のひとつになったのは間違いない。

以前は疲れたら休憩を取る、休暇を取るようにしていたが、今は疲れる前に休憩や休暇を取るようにしている。それ以上に体の健康状態を維持するための時間を最優先にしている。

 

与生を生きるための時間管理とは習慣管理である

 

これからどのくらい生きれるかはわからない。私の場合は100歳までは生きることはできないだろう。そう思うと生きながらえるためには毎日の積み重ねが大切になる。

生きながらえるためには、仕事のように1日6時間なにかを行うということではなく、毎日の習慣に組み込むのがベストである。与生を生きるための時間管理とは健康管理でもあり、習慣管理でもある。

(つづく)

 

年をとってから観る映画もいいもんだ!