総務省統計局が2019年3月20日に「平成30年(2018年)10月の人口推計の確定値」を公表した。総人口は1億2644万3千人で減少の一途を辿る一方、65歳以上の人口は増加している。上図の左側は日本の人口ピラミッドだが、右側のやせ細った人口ピラミッドは?
少子高齢化は聞き飽きたのでは
少子高齢化という用語を頻繁に耳にするようになって10年以上経つ。65歳以上を高齢者とし、高齢化率を全体に占める65歳以上の人口割合としているので高齢化率は進む一方だ。
長生きが美徳であり年長者を敬う文化がアジアにはあり、未だに不老長寿や不老不死という錬金術まがいのエセ科学を信じながらも、自殺死亡率は韓国についで世界第二位というのが日本だ。
人口構造が縦に伸びていくのであれば下方には伸びないので、15歳以下の少子化対象人口と65歳以上の高齢化対象人口を比べれば少子高齢化はこれからも進むだろう。
人海戦術による戦争の後には再び人海戦術による生産体制が構築され、機械による生産体制が導入された後は人海戦術のために動員された世代の役目は終わった。
下方に伸びることのできないための少子化と上方に伸びる一方の高齢化は別の問題なのだ。少子高齢化を問題視して同時に解決する方法を模索しているようで、実際には目の前の高齢化対策に目を奪われているに過ぎない。本当の問題は少子化と人口減少による生産体制の捕捉だろう。
高齢化は後戻りできないのでは
総務省統計局のレポートによれば、日本の高齢化率は28.1%となり、その半数以上が75歳以上だというのが現実である。
冒頭の左側がもはやピラミッド状ではないが、現在の日本の人口構造である。では左側のやせ細った人口ピラミッド?はいつどこの人口構造かおわかりになるだろうか?
平成30年(2018年)10月の秋田県の人口構造を日本の人口構造と比較しやすいように筆者が加工したものだ。20歳から第二次ベビーブームと呼ばれる年代が少ないことがわかる。
秋田県の高齢化率は36.4%で日本で最も高齢化率が高く、75歳以上の人口が19.7%とこちらも全国一である。高齢化率は全体に対する割合なので、働き盛りの人口が少ないことが高齢化率を高める原因になっている。
少子化は高齢化と同じ問題か
働き盛りの年代が少ないということは、その子どもの年代も少なくなる。少子化率という用語は一般的ではないが、15歳未満の人口を子どもの割合を表した都道府県別の資料でも秋田県が著しく低い。
子どもの人数が少ないと子どもが育つ環境はどうなのだろうか。少なくとも学力を見る限りは秋田県の小中学生はトップもしくは上位を維持している。少ない=悪いことではなさそうだ。
では優秀な子どもたちが高校・大学を卒業後に秋田県に留まらないように見える人口構造が生じているのはなぜだろうか。産業の偏りが原因だろうか、それとも他に原因はあるのだろうか。
これは秋田県だけの問題ではなく人口が減少している都道府県、高齢化率が高まっている都道府県にも共通する問題である。日本全体が高齢化している現状を考えれば、この問題はどの地域に住んでいようが考えなければならない。
参考:我が国のこどもの数 |総務省統計局
参考:全国学力テスト 小学校・中学校 2018年(平成30年度)都道府県別順位
参考:産業楮マップ|地域経済分析システム(RESAS)
人生後半戦に少子化問題を考える
人生後半戦に少子高齢化問題を考えるときには、どうしても自分の老い先である高齢化問題を考えてしまう。老後資金、健康・介護、人間関係など「老後の3K」問題が主となる。
人生後半戦に少子化問題を考えるには、子どもたちには過去ではなく未来を考える教育を受けさせることが第一にあげられる。
第二には人生後半戦を子どもたちの未来に負担をかけないようにしなければならない。例えば年金は「お神輿型>騎馬戦型>肩車型」と変わってきているが、自立型という選択肢も増やさなければならない。
また、少子化問題とはお金の問題でもあるので、国家予算も未来に向けての予算組みが必要である。平成30年度の予算では98兆円のうち3分の1の33兆円が社会保障予算である。
そのうち少子化対策は2兆円、社会保障予算とは別の教育関連予算が4兆円、合計しても6兆円である。これに対して予算から年金に組み込まれている金額は12兆円である。これを多いと思うか少ないと思うかは、自分の年齢と経済環境によって異なってくるが子どものめの予算組みは厳然たる事実だ。
一番の問題は少子化と高齢化を同じレベルで考えること
教育無償化、社会福祉の充実と聞こえはよいが、いずれにせよお金がかかる。そのお金は国のお金で自分のお金ではないと感覚的に思っているのではないだろうか。
世界は平和で日本は安全と思っているように、自分の都合よいように解釈していないだろうか。世界の平和と同じように老後の生活は国が保証してくれる、子どもたちの未来は開けていると考えてはいないだろうか。
少子高齢化の一番の問題は少子化と高齢化を同じレベルで考えていることだ。子どもたちは人生後半戦を歩む自分たちとまったく違う世界で生きているし、生きていくと思わなければならない。
(つづく)