困ったもんだ、その9 「アフターコロナと日本の行く末」
新型コロナの感染者数と死亡者数、医療の現場と社会生活の変化、収入不安と社会不安、組織体制と在宅ワーク、毎日同じ情報が繰り返し伝えられています。4月に入ってからは「アフターコロナ」という新型コロナ禍が収まった後の社会生活について取り上げられているのを目に耳にするようになりました。
経済はV字回復し、今までかなり先だと思われていた在宅ワークをはじめとする労働環境の変化とキャッシュレスをはじめとする日常生活の変化、そして社会制度自体も変わるのではないかという考えが大方を占めています。私もそう思います、が、今はどう生き抜くかのほうが重要です。まず現状をどう乗り切るか、そして現状取る方法で将来も残るのは何かについて考えてみたいと思います。
例えば少子高齢化と言われて久しくなりますが、学校へ通うことなく家で学ぶことを経験した小中高大学生は、学校へ行って学ぶことの意義を今までとは違ったことを求めるでしょうし、教師側もそれに答えなければなりません。学校へ行くことで学ぶことと自宅に限らずひとりで学ぶことの違いは「教育と学習」の違いそのものです。登校拒否ではなく投稿しなくても学ぶ環境はこれからも維持されるでしょう。
高齢者もデイケアやショートステイなど施設の利用も考え直さなければなりませんが、高齢者は若年層と違って変化を受け入れることを拒むまたは受け入れるのに時間がかかります。高齢者を年齢で分けたり、社会不適合者として別枠で考えていたこと自体にも歪みが生じます。オールドスタイルとオールドエイジ(長年の習慣と高齢者)をイコールで結びつけることから考え直すことになるでしょう。
働き方改革は改革ではなく一気に革命になるかもしれません。人と人とのつながりは対面で行うことからなにかを媒介してつながることに変わっていきます。働き方が変わると経済への影響は大きく、今までの給与体系はもとより経験と技能という考え方も変わります。日本だけではなく世界中のワークスタイル、特に先進途上国のワークスタイル、その中でも日本のワークスタイルは変わらざるをえなくなるでしょう。
人生後半戦では新型コロナに対してどのように対応すべきか
- 人を媒介して感染する新型コロナへの対応は「人と直接接しない暮らし方をする」ことに他なりません。まったく人と接することはできなくても極力人と接しない暮らしを心がけましょう。
- 仕事上どうしても人と接しない暮らし方はできないと思う人が取る方法は2つです。今まで通り直接人と接して仕事をする、直接人と接しない方法を考えて実行してみる、前者マイナス効果が目に見ますが後者はたとえゼロにはならなくてもプラス効果はるでしょう。
- 直接人と接しないと収入が途絶える、会社がまわらない、経済が停滞すると思うだけでなく、現実にそうなりつつあります。国・自治体からの支援も必要です。それとは別に仕事を対面で行う方法と行わない方法の2通りの対応はできないでしょうか。きっと新型コロナ禍が終わった後も収入源のひとつとなり経済の活性化にも役立つと思います。
- 学校、保育所、高齢者施設は少子高齢化で力を入れなければならない課題です。このような施設は対面でのコミュニケーションが大切です。そのコミュニケーションを行うことで感染が広がり未来が破壊されることを施設を利用する人たちに伝えることは、新型コロナ禍が終わった後も重要な経験となります。コミュニケーションに「あのときああしていればよかった」はありません。学力、ストレス、フレイルなどいろいろなことが頭をよぎるでしょうが、コミュニケーションだけは忘れないでください。
- 医療制度のあり方が根本的に変わると思います。病人は病院へ行く、病院へ行けば治療できるという今までの考え方から、病人でも在宅で治療できる方法へと変わると思います。そのためには各家庭でも災害救急キットのように、居室を病人に合わせることが可能な設備などの開発と普及が必要になってくると思います。
アフターコロナ(ポストコロナ)とウイズコロナ
呼び方はコピーライターにお任せるするとして、新型コロナ禍が収束して終息することになってもこの世界的な共通の経験は歴史として残ります。原因の追究と対策は行わなければなりませんが、責任の追及と対処は行っても黒歴史として残るだけのような気がします。
アフターコロナを考えるのは高齢者ではなく、これから社会を担っていく人だと考えてよいのでしょうか。年齢に関係なく今までと同じでよいと考えることは、アフターコロナでは迷惑なことです。老いも若きも今までとは違う新しいことが始まると考えてみてください。
もしアフターコロナ・ウイズコロナを考えるならば、自分の働き方・暮らし方。生き方を変えることです。できればガラッと変えるくらいの気持ちで取り組む人が、アフターコロナ・ウイズコロナでも、そしてネクストコロナでも生き残れる人だと思います。
(おしまい)