人生後半戦の新おとな学 Ver.3

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人生後半戦の時間とお金の使い方

人生後半戦の時間とお金の使い方|新おとな学Ver.3  snias.com

 

 

 

 

シンプルに自然体で知性的に、そして持続可能な生き方を目指すのが私の人生後半戦です、というのが前回の話で、今回は何をどのようにしているかをお話したいと思います。

 

時間とお金の関係

 

「時間とお金」からイメージするのは「時は金なり(タイム・イズ・マネー)」というフランクリンの有名な格言があります。人生後半戦になってもいまだに「時は金なり」を「時間はお金と同じくらい大切だ」という意味で使っている人もいます。同じように時間は大切だという意味で「光陰矢の如し」を時間の大切さの意味で使う人もいますので、そのような場面ではとにかく時間は大切だということを言いたいのだなと気を遣うわけです。

 

「時は金なり」に続きフランクリンは「信用は金なり」とも述べています。同じ時間でも働いてお金を稼ぐのと遊びにお金を使うのでは大きな違いがある、つまりお金を得る機会を二重に失っているという機会損失が「時は金なり」というのが本来の意味です。また「信用は金なり」は借りたお金の返済期限を延ばしてくれる信用があるのなら、その延ばしてくれた期間にお金をさらに有効に使えるという解説が続きますが、私としては都合のよい話にしか思えません。

 

「時間は大切だ」と格言を引用してまで言わしめるのはなぜでしょう。それは人間の一生という時間には限りがあるということか来ているのでしょう。「時間は平等である」と言いながらも人によって一生という時間は違います。時間を大切にしたからと言って多くの時間を得る、すなわち長生きするとは限りません。時間の大切さは量ではなく質です。

 

ではお金はなぜ大切さ、重要度の指標になるのでしょうか。現実的には完全自給自足でない限りは何らかの形で私たちの生活に関わっています。私たちは生まれた時からお金の存在を意識し、価値の基準として頭の中に植え付けられています。

 

人生後半戦は残りの時間の中でどのように生き、どのようにお金を使うかを常に考えながら生きていかなければなりません。ただし、時間についての考え方、お金についての考え方は、自分で考えたことでしょうか。

 

 

 

腕時計は持ち歩かなくなった

 

10人に3人が65歳以上という高齢社会になって、長生きできるだけで幸せだと思える人はどのくらいいるでしょう。明石家さんまが言うように「生きているだけで丸儲け」と思えるのはわずかではないでしょうか。数年前には老後資金2000万円問題が騒がれていましたが、新型コロナでこの話題は吹っ飛びました。人生後半戦の長い時間よりも目先の時間のほうが大切な昨今です。

 

日本人は時間に几帳面だと言われています。この几帳面さを表すのが腕時計と腕時計を見る頻度です。5分に1度は時計を見る人と一緒にいる時に落ち着かないのは私だけでしょうか。私は「腕時計をしない派」です。時刻や時間はスマホで十分です。時刻を気にするのは同一時刻になにかを行う場合で、時間を気にするのは経過時間ではなく残りの時間、つまり終了時刻です。

 

終了時刻が決まっていない場合は時間を気にすることはありません。人生という長い時間を考えれば、人生の終了時刻が決まっていないので時間を気にすることもないはずです。なので必要な時に時計があればよいわけで、四六時中、時刻と時間を気にするための腕時計はしたくないのです。きっと私は腕時計をすると時間が気になって集中できないと思います。だから携帯電話持つようになってから腕時計はしなくなりました。

 

人生後半戦になって人生の残り時間が少なくなったにもかかわらず時間を気にしなくなったというのも矛盾するかもしれませんが、時間の長さ(量)ではなく、時間の質を気にるるようになった、大切にするようになった、というかずっとそう思ってました。

 

 

 

財布も持ち歩かなくなった

 

最近になってキャッシュレス社会を目指すことが当たり前のように語られるようになりました。私がキャッシュレスを意識したのはアルバイト代が現金支給だったのを最後に、社会に出てからは給料は銀行振り込みだったので、そもそも現金は銀行へ行って引き出すものという考えが沁みついています。したがってお金は現金ではなく単なる「数字」で紙幣と硬貨はお金の「道具」という考えでした。

 

独立してからは銀行とのお付き合いの中で一時は20枚以上のクレジットカードを持っていました。そうなると使っているカードは今も昔も2枚ですので、残りはすべてハサミを入れてました。紙幣の部分はクレジットカードで代用できても硬貨はクレジットカードでは代用できないこともあり、結果的に硬貨太りの財布を持ち歩いていました。

 

電子マネーが登場したときにはいち早く使おうと思ったのですが、使えるお店も少なく、また自動販売機全盛の時代でしたのでまだまだ硬貨は手放せませんでした。ところが物価が上がり始めると硬貨の使い道が徐々に少なくなり硬貨の役割が終わったかと持ったところに消費税が登場しました。消費税の端数処理にどうしても硬貨が必要になり、また釣銭で手持ちの硬貨が増え続けます。これがなんとも耐え難かったのです。

 

ところがスマホが普及するにつれて、紙で扱っていた買物ポイント、磁気カードで扱っていた交通系の乗車券、磁気やバーコードで扱っていた会員証がすべてスマホで扱えるようになりました。さらに〇〇ペイの乱立で他の電子マネーも利用できるお店も増え、今ではラーメン店などで外食する以外は現金を必要としなくなりました。

 

ということで今はカード入れとしての財布は持っていますが、現金を入れるための財布は持たなくなりました。財布を持たなくなると、現金勘定ではなく現在の資産と負債という考え方に変わります。損益ではなく貸借で考えるようになったのが大きな違いです。

 

 

 

人生後半戦になって気づいた時間とお金の使い方

 

時間とお金、生きていくためには両方とも必要ですし大切です。人生後半戦になると時間とお金の量よりも質を気にするようになってきました。若い時から自分なりに気にはしていたつもりなのですが、あることがきっかけに考え方が整理できました。

 

2年半前に心筋梗塞を発症し生死の境目を彷徨ったのですが、そのときに集中治療室で考えていたのが「時間とお金」のことです。死にたくない、このまま死んだら悔いが残るとは思っても具体的にどんなことに悔いが残るかを考えた時、時間の使い方とお金の使い方です。

今までどうもしっくりこなかった時間の考え方、お金の考え方を説明できなかったことが、死を意識してはっきりさせたくなってきたのです。

 

  •  時間は長さ(量)ではなく質、一定の時間を守るのではなく一定の時間に集中すること、他の人が決めた時間ではなく自分の時間を持つことです。
  • お金は貯蓄(ストック)と消費(フロー)のバランスではなく、フローに含まれる投資は自己への投資であれ他者への投資であれ未来への投資のためにお金を使うことです。 

 

未来への投資と言えば時間も同じことが言えるかもしれません。

もっと早くに気づけばよかったという反面、これからの人生はこのように考えていきたいと思っています。

(つづく)