人生後半戦の新おとな学 Ver.3

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なぜ年寄りは年寄りらしくできないのか

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新型コロナ禍が終わらないまま次の時代に入ってしまいました。未だに新たなコロナ感染者が留まることはありませんし、外出するときはマスクをしていれば安全だと思っているのか巷ではマスク姿の人を見ない日はありません。

 

 

新型コロナ感染者が後を絶たないのは

 

新型コロナは「ヒトヒト感染」ですので、感染したくなければ人に会わない方がいい、人と接しない方がいいのです。それなのに私の住んでいる札幌ではヒルカラでクラスターが発生し、東京では新宿の夜の街で感染者が増えています。

 

すべてのヒルカラ、夜の街ですべての人が感染するわけでもありませんし、重篤化するわけでもありません。ただ感染すると高齢者になればなるほど重篤化する確率が高くなります。高齢者は体力が衰え病気に対する抵抗力もなくなり、また基礎疾患を持つ人も増えるので重篤化する確率は高くなるのは発生当初から注意喚起されていました。

 

 

ヒルカラ、夜の街だけではなく、日に日に対面での集会やイベントが増えてきています。スーパーやコンビニ、窓口業務を行う場では、アクリル板やビニールシートで仕切られている様子は珍しくなくなりました。仕切りはマスクと同じか、それ以下の感染防止策にしかなりません。

 

なぜ考えれば分かりそうなことを繰り返すのでしょうか。それは過去の経験の上に生活が成り立っているからでしょう。「今までそうしてきたから、その生活様式に従ってきた」というのは、その場で考えた言い訳であり、実際は考えたことがなかったに過ぎません。

 

もうひとつは「みんながそうしているから、みんなと同じにした」という答えもよく耳にします。こちらもまた自分では考えたことがなく、他人の考えに従ったとも言えますが、なぜ他人の考えに従うのでしょうか。

 

 

 

「年寄り」には二つの意味があった

 

「年寄り」は年齢を基準とした「老人」という意味と、経験を基準とした「重職」を意味する用語です。経験を積まなければ重職に付けないのは、経験こそがインプットだった時代です。その時代でもおそらくは経験という一次情報だけではなく、書物や伝聞という二次情報を上手に取り入れることができた人たちが重職に着いたのでしょう。

 

現在の老人の意味での年寄りは、経験という一次情報と誰でもが手に入れることができる二次情報、例えば新聞・テレビ・ラジオ・雑誌などで思考を作り上げてきてるように思われます。他にも学校という教育の場も同じで、職業としての教師は二次情報の伝達者としてだけの存在なってはいないでしょうか。境域の現場は意外と若年寄りが多いように思います。

 

学校だけではなく、会社でも公官庁でも研究所でも同じようなことが言えます。一部の二次情報を上手に取り入れることができた人だけが重職もしくは要職に就いているように思われます。一方で自分の発した情報を二次情報として取り入れた人に対して、さらに自分の考えを付して「派・族」というグループを作るようになります。

 

最初は小さなグループでも人数が増えれば、良くも悪くも思想として時代を彩ります。その時代に生きていると自分が特定の思想を持っていることは疑う余地もありません。この繰り返しが世代格差、時代の違いを社会に生み出しているのではないかと思います。

 

このような格差は一部の人だけしか二次情報が得られなかった時代の話です。

 

 

 

インターネットで二次情報を得る

 

人生50年と言われた100年前の大正時代でも同じようなことが起きていたでしょう。古代から「近頃の若い者は・・」とう言い回しがあったとのことですから、いつの時代も同じかもしれません。人生100年時代は、人生50年時代の2倍あるにもかかわらず、根本的なことは何も進歩していないのかもしれません。

 

新しい情報が良い情報と考えるのも限られた情報を得たいた時代の話です。現在はインターネットという情報が網目のように広がっています。この網目は漁網のような規則正しい網目ではなく、レースのような二次元的な広がりを持つイメージとは異なります。神経網のような三次元的なイメージで考えなければなりません。

 

二次情報はいつでもどこでも得ようと思えば得られる時代になっています。また情報交換もインターネットを利用すればいつでもどこでも行うことができます。一次情報を重視し、限られた二次情報を得られなかった時代とは異なります。

 

とは言ってもどのようにして二次情報を得ればよいのか、どのようにして二次情報を上手に使えばよいのかがわからないという場合もあるでしょう。もしそのように考えるのであれば一次情報を得る方法を考えてみてください。一次情報とは誰もが失敗しながら取捨選択して得る情報です。二次情報を得方法も同じです。

 

失敗しない二次情報を得る方法は、上手に二次情報を得てると思われる人の真似をするしかありません。

 

 

 

年寄りは若者の中にもいる

 

一次情報重視の年寄り、二次情報を上手に得る年寄り、2パターンしかないのかと言われれば、そんなことはありません。単に分かりやすく書いているだけです。年寄りは人生後半戦の中高年、高齢者ばかりではなく、若者の中にも大勢います。

 

まず年自分より年上、またはキャリアが上の年寄りは「先輩」と呼ばれます。一次情報を多く持っている年寄りは「一所懸命」な先輩で、これに対して二次情報を多く持っている年寄りは「一生懸命」な先輩です。このように先輩を立てる人もいますが内心はわかりません。

 

「先輩」と呼ばれて気を悪くすることはありません。「先輩」と声をかける人は情報を得たい人だからです。情報だけではなく、ヒト(コネ)・モノ・カネの場合もありますが、おおかた悪気はありません。ただ慣例に従って先輩という言葉を使うだけです。

 

若者の中でも人望があり、実践経験を持ち、知識抱負は人がいます。もしそういう人がいれば年齢に関係なく、重職または要職の候補として見立てているはずです。翻って人生後半戦の自分はどうでしょうか。学歴・職歴・資格・表彰などにとらわれていないでしょうか。

 

これらはすべて一次情報重視の時代の評価方法で時代遅れです。

 

 

 

人生後半戦は将来を考えるのではなく

 

人生後半戦を年寄りらしく人生を送るには、自分の過去を振り返る時間を「1」とすれば、将来を考える時間を「2」、現在何をすべきかを考える時間を残りの「7」と考えてはどうでしょう。過去だけ、将来だけ、現在だけという考え方は最も悪い考え方です。それならばまだなにも考えない方がましかもしれません。

 

過去は変えられませんので否定しても過去は過去です。良い経験をしたと思う程度でよいでしょう。将来は人生半ばを過ぎていますので夢のようなことを願うのではなく、理想を明確に持つことが大切です。そして現在と理想の差が埋まるのか、埋めるにはどうすればよいのかを残りの時間で考えながら実行するのです。

 

現在の「7」という時間は考える時間と実行する時間の両方が含まれています。思考と実行と分けると、思考に時間をかける(Aタイプ)と実行に時間をかける(Bタイプ)がいます。また、思考を先に行う(タイプ1)と実行を先に行う(タイプ2)、同時に行う(タイプ3)がいます。タイプの名前に意味はありません。

 

もうお分かりですね。思考と実行の重ね方は人によって異なり、多くの方法があります。どの方法が良いかは現実と理想にもよります。若ければまず実行からという人が多く見られますが、年をとるにつれてよく考えてからという人が多くなります。実際にはよくは考えているのではなく先送りしてることが多いのですが。

 

人生後半戦を年寄りらしく生きるためには、まず自分自身の立ち位置を見直すことです。

 

 

 

人生は二通りある、過去と現在、前半戦と後半戦である

 

過去と現在はあるが将来はないのか、と思うかもしれません。将来を考えるのであれば前半戦と後半戦という考え方になります。

 

過去・現在・未来は単なる時系列です。自分の中の時間は過去と現在しかありません。もし人生後半戦に将来を考えるのであれば、前半戦とは異なった考えで後半戦全体を考えることが必要です。

 

その中には老後不安の3Kと呼ばれる「お金・健康・孤独」だけではなく、仕事・生活・社会など人生前半戦と同じことが含まれます。

 

前半戦と違うのは「終わり」を意識しながら人生計画を立てることです。

 

終活でも老後の生き方でもありません。今をどう生きるかという積み重ねの計画です。そして計画の最後には必ず「終わり」と書くことを忘れてはいけません。