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高齢社会を高齢者はどのように受け止めればよいのか(2)

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労働力人口の推移 (出典:令和2年版 高齢社会白書)

 

 

「労働力人口の減少」は国の死活問題

 

日本は日本民族が住んでいる国、というだけで国が形成されているのではありません。国というよりは国家と言ったほうがよいかもしれません。国家は「領域・人民・主権」を持ち、他の国家から認められることによって成立します。

 

人民すなわち国民が生きて生きていくためには生産活動が必要であり、生産活動と同時に交換を伴う経済活動が必要です。この生産活動と経済活動が国のエネルギーの源泉となります。

 

人民を円滑に統治するためには調整が必要であり政治が行われ政府がつくられます。生産活動と経済活動は当事者同士ではなく政府が調整をするために規則すなわち法律がつくられている訳です。

 

日本が日本であるためには生産活動と経済活動を担う人民の労働力が不可欠です。義務教育で教えられた覚えがあるのではないでしょうか。その労働力が高齢化により減少しているのです。

 

 

労働力とは人数計算で求められない

 

労働力は労働可能で労働する意志がある者の合計人数として「労働力人口」という用語が使われます。ただし労働可能かどうか、意志があるかどうかは客観的な判断はできません。

 

1人の労働する人はどんな仕事をしても1人の労働力として考えられます。実際には1人が行う労働力は1人分とは限りません。半人前とか、2人分働いたと言うようにです。

 

労働力は業種・業務により異なりますが、1人の労働可能な人が働いた時間と付加価値によって計算されるべきです。長時間労働を問題にするよりも労働力の考え方が問題なのです。

 

高齢社会が問題なのではなく、総人口の減少が問題なのでもなく、労働力の減少が日本という国の維持にとって大きな問題なのです。

 

さらに労働力を1人単位で考えること自体が手作業で行っている手工業の発想から抜け切れていないことが問題に拍車をかけているのです。

 

 

高齢者が働く目的が社会に合っているか

 

働く目的の調査を行うと年齢に関係なく「収入のため」が上位に来ることは予想できます。高齢者もまた同じですが、収入以外の項目となると様子が変わってきます。

 

調査の方法(設問の仕方)によって偏りが出ることを差し引いても、高齢者が働く目的には「経験を生かす」という項目が入ってきます。その他にも「健康のため」「仲間づくり」などが現役世代とは違うのではないでしょうか。

 

「経験を生かす」とはどのような経験かということになりますが、どのような経験でも過去の時代の経験です。過去の時代の経験とスキルがこれからの社会に役立つかどうかを常に考えなければなりません。

 

特にビジネスツールは大きな変化を来していますし、ビジネス用語、ビジネスへのアプローチ、なによりもビジネスにおける慣習にも変化があります。

 

これらの変化を受け入れる人と受け入れられない人、受け入れない人は自ずと働き方も労働力への評価も異なります。高齢者はどのように対処すればよいのでしょうか。

 

 

 

 

 

高齢社会という観点を見直すことから始めよう

 

高齢社会は年齢別人口層の変化によって名付けられました。65歳以上の人口が7%に達した社会を高齢社会と呼ぶのであれば、高齢社会を脱するためには日本における3,589万人の高齢者から逆算すると総人口は5億1,271万人を有しなければなりません。

 

この数字だけ見ても高齢社会を脱することは不可能です。つまり高齢社会が常態化した時には、もう「高齢社会」と呼べなくなります。年齢別人口構成に見合う社会づくりをしていかなければなりません。

 

日本の将来を考えれば高齢社会は延々と続き、高齢社会の問題も続くでしょう。日本の将来ではなく日本の未来という観点で考えれば、高齢社会が問題ではなく国家の基盤である「領域・主権・人民」について再考することになります。

 

日本の未来像を21世紀の折り返し地点である2050年と置きかえるとイメージしやすいと思います。いまから30年後の未来を語ることはできるでしょうか。仮にそれまで生きていられないとしてもです。

 

特に高齢者は日本の未来を考える基礎データを学んでいるでしょうか。新聞やニュースの見出しだけを見て満足していないでしょうか。

 

 

高齢社会が問題なのではない

 

「人口構造の変化、世界情勢の変化、科学技術の変化」、これら3つの変化による「世相、文化の変化」を知識として身に付ける方法を持っているでしょうか。

 

多くの人の働く目的が「収入のため」が欠かせないように、収入についての知識を得る方法を持っているでしょうか。

 

自分の人生に前述の「変化と収入」を重ねて考えてみることはできるでしょうか。今までの人生と同じようにこれからの人生も「変化と収入」を重ねて考えることはできるでしょうか。

 

「変化と収入」は何よってもたらされるか考えることはできるでしょうか。その1つに「働くこと」すなわち「労働力」であることに気づいているでしょうか。

 

労働力の1人として、どのような業種で、どのような業務に就き、どのような成果をあげることができるかどうかは、年齢に関係なく自分次第です。

 

 

高齢者は働く意味を何に求めるべきか

 

結局は自分次第か、そう思った人もいるでしょう。

 

困っている人のために働きたいという人は、困っている人がいるから働きたいのであって、いなければ働かないのでしょうか。生活のため、お金のために働く人は、働かないと自分や家族が困るからです。困るから働く、困らないから働かない、結局は自分中心の考え方です。

 

マズローの五段階欲求説を働く目的に置きかえてみることができます。生理的欲求・安全欲求・社会的欲求・承認欲求、ここまでが欠乏欲求、無ければ困るものに対する欲求です。

 

4つの欲求の上位に成長欲求として自己実現欲求を頂点としているのが五段階欲求説です。自分を中心に考えた五段階欲求説の上にさらなる成長欲求として自己超越欲求をマズローは付け加えたと言われています。

 

自己超越欲求とは、自己超越というくらいですから人間の考えられる域を超えた存在であり、そう容易に到達できる領域ではありません。

 

なのになぜマズローの五段階欲求説を引き合いに出し、自己実現と自己超越を目指すようなことを書いたかというと、高齢者は成長欲求を失い、自分本位になっていないかという問いかけのためです。

 

 

 

 

 

高齢者、老人、お年寄り、その意味とあるべき姿

 

「老」という文字には「徳が高い」という意味があり、「年寄り」はかつて「重職」という意味で使われていました。経験値というデータベースが貴重だった時代の話です。

 

ろころが現在は経験(キャリア)と技能(スキル)は年齢に関係なく身に付けようと思えば身に付けることができます。いつまでも経験値が貴重だった時代を引き摺ってはいられません。

 

経験とは過去の積み重ねですので、新しいことではなく古いことの積み重ねです。知識としての過去の積み重ねはAI(人工知能)に叶いません。人工知能こそ「大老」なのかもしれません。

 

であれば高齢社会の高齢者は、自分自身が高齢者と呼ばれることをどのように受け止めればよいのでしょうか。高齢であることを理由に欠乏欲求にさかのぼってはいないでしょうか。

 

すべての高齢者が成長欲求を維持できるわけもありませんが、人口比28%肥えの高齢者集団の欠乏欲求を満たすことは不可能です。少なくとも医療と介護で欠乏欲求を満たすことはできません。

 

成長欲求という言い方を変えれば、高齢者は未来に向けての思考と活動を行う、そのためには学びと遊び、仕事と暮らしのバランスをとって生きていくべきではないかと思います。

 

日本の未来は高齢者の自覚にかかっているのです。