人生後半戦の新おとな学 Ver.3

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健康な高齢者と撤退戦略を行う高齢者

 

健康な高齢者と撤退戦略を行う高齢者

 

 

健康は病気と相対する言葉として定着しています。持病がある場合は健康とは判断されなません。少なくとも私の経験ではそのような篩(篩)にかけられてきました。健康かどうかは見た目では分かりません。では何を以って健康だと言えるのでしょう。

 

元気がよい高齢者が増えてはいるが・・

 

人生後半戦になると平均寿命が気になってきますが、平均寿命とは別に健康寿命があります。健康寿命は3年おきに国民生活基礎調査で「健康上の問題で日常生活に影響がない」と答えた人の割合や年齢別の人口などから算出されます。

 

2019年の健康年齢はまだ発表されていませんがニッセイ基礎研究所の試算では下記のようになっています。

男性 健康寿命 72.7歳 平均寿命 81.4歳 差 8.7歳
男性 健康寿命 75.4歳 平均寿命 87.4歳 差 12.0歳

健康寿命の延びが平均寿命の延びを上回る傾向は、平均寿命と健康寿命の差は縮まる傾向にあります。

 

健康寿命は「健康上の問題で日常生活に制限がない」と回答した人の割合や年齢別の人口などから算出されます。平均寿命が0歳の平均余命の算出結果であり、健康寿命が日常生活を基準とした算出結果ですので個々人に当てはめれば当然差が出てきます。

 

出典:ニッセイ基礎研究所

出典:ニッセイ基礎研究所

 

とは言っても、ニッセイ基礎研究所のレポートによれば、60歳以上では「健康上の問題で日常生活に制限がある」割合が減少している、つまり健康な高齢者が増加していることがわかります。私たちが最近の高齢者は元気がよいと感じているのと一致します。

 

ただそれだけではありません。

 

 

高齢者が増えて良いことと悪いこと

 

元気がよい高齢者が増えると良いこともあれば悪いこともあります。数少ない良いことは「自由な時間を持つ人が増えたこと」です。自由な時間とは収入目的で働かなくても生活できるという意味です。これは良いことではないでしょうか。

 

高齢者のベーシックインカムともいえる年金で生活を賄える人にとっては自由な時間は増えます。賄えない人にとっては生活するために働かざるを得ません。そして何らかの事情では働けない人は生活保護のお世話になわけです。

 

それでも高齢者の自由な時間と非高齢者の自由な時間を比べれば、どちらが多いかは火を見るより明らかです。問題は自由な時間の使いで、自分のために使っている場合が多いことでしょう。自由な時間を自分のために使って何が悪いのか、そういう疑問があって当然です。

 

働いている世代の自由な時間と言えば、確かに自分のための時間です。働いている、すなわち仕事をしているときは仕事自体が誰かのために行っています。この誰かのために行っていた時間を含めて、すべての時間を自分のために使うことが高齢者にはできるようになります。

 

家族のためやボランティアを行っている時間もあるでしょう。ところがこれだけでは不十分なのです。人口構造がピラミッド型の場合はよかったのですが、現在の人口構造はつぼ型です。人口構造が作り出す社会にあった時間の使い方をする必要があります。

 

 

 

 

 

現在の高齢者が経験した経済成長で学んだはず

 

現在の高齢者は1960年代と成長経済、1980年代のバブル経済の経験者です。2000年前後にITバブルらしき盛り上がりがあるかのように見えましたが、短期間で終わってしまいました。現在、世界で時価総額の上位はITバブルで勝ち残った企業が目立ちます。

 

 

日本は力がなかったのではなく、ITを事務処理、事務機器の延長として捉えたためにチャンスを逃してしまったと私は考えています。携帯電話が普及したにもかかわらずに固定電話とFAXで仕事をしていたのを覚えているでしょう。

 

携帯電話がガラケーからスマホに変わっても、自分はガラケーだと頑なに機種変更しなかった人もいるでしょう。IT時代になっても日本は科学力よりも職人力が必要だと言っていた時代です。世界に稀に見る職人力に科学力を加えれば違う時代を迎えられたでしょう。

 

日本は大戦に敗れたにもかかわらず経済復興できたのは、この職人力に科学力を加えたからです。残念ながら日本は再び世界経済の動向から遅れを取り再び終戦後と同じ状況になりました。終戦後の新たな経済力は新しい世代が作ったように世代交代を行う必要になります。

 

実体験した経験と知識を追体験する

 

新しい世代に世代交代を進める一方で高齢者は何を行うべきなのでしょう。なにもしなければ新しい社会制度に呑み込まれていくはずなのですが、つぼ型の人口構造ではそうはいきません。古い社会制度を維持しようとする世代が新しい世代の「目の上のたんこぶ」になっているのです。

 

目の上のたんこぶとは何ごとだ、自虐的になってるのではないか、と思うかもしれません。大戦の後はいきなり経済成長ができたのではなく終戦後の処理がありました。戦犯を探せというのではありません。新しい世代への援助と旧い世代の解体が必要なのです。

 

具体的に何をやればいいのか、という話になっても、そもそも話を聞く耳を持っている人はわずかでしょう。日本が大戦の後に何をしたかを考えればよいのです。生まれたばかり、子供だったからわからない、いいえ、そんなことはないと思います。

 

実体験できた世代が現在は高齢者となっているのですから、追体験すればよいのです。戦前の社会制度から大きく変わったことは多々ありますが、高齢者に対する意識も変わりました。なによりも老人という呼称が高齢者に変わったことも戦後の話です。

 

老人はひっそりと家の奥で暮らしているのではなく、社会の一員として社会参加するように戦前から大きく変わりました。教育制度も変わったことから経験よりも知識が重視されるようになり、学校だけでなく会社教育も盛んにおこなわれるようになりました。

 

自分は経験していなくても社会の変化には気づいていたはずです。

 

 

 

 

 

高齢者は撤退戦略を行わなければならない

 

なにも歴史を繰り返せと言っているのではありません。歴史を繰り返したのでは、前述したような二度目の戦後を想起せよという意味がありません。これをドラスティックな改革、パラダイムシフトと言うのでは大方の高齢者は理解に苦しむでしょう。

 

前回の終戦後の処理と今回の終戦後の処理の大きな違いは、改革する側から改革される側に変わったということです。さらに改革される側の人口が多いのですから、改革する側の苦労は推して知るべしです。

 

そこで高齢者は何をすべきかと言うと、自ら作ってきた社会を自ら改革しなければなりません。終戦後の処理は新しこと体制を作ることだけではなく、旧い体制を解体することも行わなければなりません。

 

旧い体制の解体とは「撤退戦略」です。企業の撤退戦略は「環境適応のために経営資源の再配分を行う生き残り戦略」ですが、社会制度の撤退戦略は生き残りのためではありません。「未来のための撤退」です。

 

残すものと捨てるものを分け、残る物は伝統とし、捨てるものは伝説へと変えていく作業です。歴史的な転換期には必ずこのような作業が社会的に行われています。高齢者はこの作業を行うべきであり、高齢者でなければできない作業です。

 

 

社会制度の終活を行うのも高齢者の仕事

 

高齢者の経験と知識を活かすと実しやかに語られることがありますが、すべての高齢者の知識と経験が活かすことはできません。戦前の経験と知識が戦後にはことごとく打ち砕かれたようにです。旧い経験と知識は新しい社会では活かされないことを高齢者は自覚しなければなりません。

 

何よりも旧い経験と知識を得た時代の環境が異なります。旧い経験と知識はその人が生きた世界での経験と知識であり、現在は知識を得る世界が格段に広く、経験を得る機会も広がっています。その差は日本と世界の差よりも大きいでしょう。

 

冒頭のITを事務処理、事務機器と考えてしまったのと同じです。今では正規社員と非正規社員と同様にITを第三の社員として考えることができます。社会の構成も同じで、ITなしに社会制度は成り立ちません。手書きとか印鑑とかそのレベルの話ではないのです。

 

前世代的なシニア像を目指すか、次世代のシニア像を目指すかは自分次第です。