人生後半戦の新おとな学 Ver.3

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新元号、新型コロナ、総理辞職の三つ巴の高齢社会

新元号、新型コロナ、総理辞職の三つ巴の高齢社会|新おとな学 snias.com

 

 

 

一年余りの間に、元号が令和に変わり、新型コロナで新しい生活様式に変わり、総理辞職で政治が変わりました。めまぐるしい時代の移りに付いていけないと思う人がいる一方で、時代の変化を自分ごととして感じていない人もいます。

 

  

今年ほど高齢社会白書が話題にならない年はない

 

毎年7月31日に公表される「高齢社会白書」ですが、今年ほど話題にならなかった年はありません。例年なら高齢社会ネタでテレビや書籍、ネットでも触れられることが多かったのですが、今年は話題の中心は新型コロナ一辺倒でした。

 

高齢社会白書でも1/2ページほど新型コロナ対策について触れられています。高齢社会白書の発行時期から考えても経過報告程度であるのは仕方がありません。しかしながら新型コロナで新しい生活様式に最も戸惑うのが高齢者ではないかと思います。

 

新型コロナは基礎疾患と高齢者が重篤化する可能性が高いという傾向が明らかになってきました。他国の状況を見ても高齢者施設で発症者・死亡者が増えています。翻って日本では高齢者施設でのクラスターは確認されているものの格段に死亡者数は少ないのが現状です。

 

これは日本が高齢社会に向けて高齢者医療と高齢者介護に重点措置を置いてきたからだと思われます。一方で新型コロナに感染しない、もしくは軽い症状のまま回復する高齢者もいらっしゃいます。

 

この方たちを元気な高齢者と安易に称賛するわけにもいかないのが新型コロナの恐ろしいところです。

 

 

新型コロナで変えるのは生活様式ではなく考え方

 

高齢者に接するのは高齢者が多いのですから、無症状や軽い症状の高齢者が新しい生活様式を受け入れるかどうかが、これから数年間は重要なポイントになります。ワクチンと特効薬が日本だけではなく、世界中に行きわたらない限りは現在の状況が続きます。

 

新しい生活様式とは「三密を避け、手洗い、消毒」だけで新型コロナ以前の生活を行うことができると考えるのは性急すぎます。新型コロナ以前の生活には戻れないからこその新しい生活様式と考えたほうがよいでしょう。

 

昭和後期生まれと平成生まれにとっては、元号が令和に変わることは新しい時代になったと受け入れることができますが、昭和中期以前の高齢者および中高年にとっては2度目の改元ですですので、元号が変わっただけでは新しい時代とは感じないでしょう。

 

昭和中期以前の世代にとっては新型コロナも過去の感染症や流行性の病気と同じと感じているかもしれません。日本は衛生的で日本人はきれい好き、確かにそうかもしれませんがこれだけで新型コロナを回避し続けることはできません。変えなければならないのは生活様式ではなく生活様式に対する考え方でしょう。

 

そして何よりもこの時期の総理辞職は国内外に大きな衝撃と影響を与えました。

 

 

高齢社会で変化しなければならないのは当事者

 

大きな影響を与えるなら総理は辞職するな、というのではありません。私も持病あありますので、頭ではわかっていても体がどうにも動かないときがあります。一個人でもそうなのですから、一国の総理となれば、一大決心を行ったに違いありません。

 

今、変わらなければならない、変えなければならないのは、元号でもなく、生活様式でもなく、総理でもないのです。変わらなければならない、変えなければならないのは、高齢社会の当事者である高齢者と、次期高齢者の人生後半戦に足を踏み入れた世代です。

 

新型コロナが長引くと理解したならば、次に行うのは新型コロナの下でどのように生活するか、どのように仕事をするか、どのように経済活動を行うかを考え実行していかなければならないのです。経済活動が変わるということは供給側も需要側も変わるということです。

 

特に供給側すなわち仕事をしている人は、本質を変えずに仕事の仕方を変えなければなりません。長いこと積み重ねてきた経験とスキルは新型コロナと共に過去のことになってしまいました。自ら急激な変化をはできなくても、変化を受け入れることが肝要です。

 

変化する者が生き残れるのではなく、変化を受け容れるものが生き残る時代になったのです。

 

 

 

 

 

「時間とお金・食事と睡眠・独居と家族」を変える

 

今までにも「時間とお金・食事と睡眠・独居と家族」についてお話してきましたが、この三つ巴ともいえる変化の時代には積極的に変化を受けいれることが必要になってきました。もちろん変化を積極的に受け容れなければならないのは人生後半戦の世代です。

 

時間とお金

 

「時間は誰にでも平等である」とは、誰にでも1日は24時間あるので時間の使い方が大切であるという意味で使われています。ただし時間だけでは誰もが平等ではないのです。「距離=速さ×時間」という計算式は、「成果=効率×時間」と置き換えることできます。

 

大切なのは時間ではなく成果です。

 

「時は金なり(Time is Money)」は、時間はお金と同じくらい大切なものだという意味と、有効に使える時間を無駄に過ごすという機会損失という意味、そしてお金を時給換算して考える意味で使われています。ですが時間とお金は相関関係にはありません。

 

時間もお金も資産として考えられますが、それ自体には価値はありません。

 

時間とお金に共通することは、使わなくても減っていくということです。時間はわかるがお金は使わなければ減らないのではないかと思う人もいるでしょう。税金や保険の支払いで減るわけではなく、時間が経つにつれて価値が下がっていきます。

 

価値がないのに価値が下がるお金、平等なはずなのに減り続ける時間、感じ方も考え方も人それぞれですが、時代が変わると「時間とお金の使い方」も変えなければなりません。

 

「時間とお金の使い方」を変える2つの考え方

 

「時間とお金の使い方」を変えるといっても、時間の使い方もお金の使い方も人それぞれです。誰にでも共通する答えはありません。「時間とお金の使い方」を変えることよりも、答えがないということを理解するほうが難しいでしょうか。

 

これは昭和教育の弊害とも言えます。端的にいえば「時間の使い方を結果から予測に変える」「お金の使い方を消費から投資に変える」の2つに尽きます。詳しくは次回以降にお話します。

 

(つづく)