人生後半戦の新おとな学 Ver.3

時間とお金 食事と睡眠 家族と独居 働き方と暮らし方 学び方と遊び方

高齢社会の敬老の日は祝うべきか、憂うべきか

高齢社会の敬老の日は祝うべきか、憂うべきか|新おとな学 snias.com

 

 

敬老の日にご長寿のお祝いをしたのがずいぶん昔のように思えます。今となっては敬老の日は高齢者同士でこどもの日のごとく互いの健康を祝い願う日と変わった観があります。敬老の日に際してもう一度、高齢社会についての復習をしておきましょう。

 

 

高齢社会白書で高齢社会を知る

 

高齢社会について知るには、毎年7月末日に内閣府が発行する「高齢社会白書」で全体像を知ることができます。高齢社会対策基本法に基づいて国会に報告するために作成されているので、政府に都合の悪いことは多あまり触れられていないことを頭に入れて読むべきでしょう。

 

 

 

高齢社会の基準

 

高齢社会とは65歳以上の人口の割合が7%を超えた状態を高齢化社会と呼びます。国連とWHOが決めた基準ですので世界共通の基準です。ただしこの基準が決められたのは1956年、2021年に65歳になる人が生まれた年ですのでかなり年月が経っています。

 

この間に平均寿命が延び、2020年の敬老の日には65歳以上の人口が3617万人、高齢化率が28.7%と推計されています。高齢化率は7%増加するごとに呼び方が変わります。

高齢化社会(7%超)>高齢社会(14%超)>超高齢社会(21%超)

となると28%を超えた現在は「超々高齢社会」と呼ばなければなりません。

 

 

「高齢社会白書」によれば、日本が高齢化社会になったのが1970年(7.1%)、高齢社会になったのが1995年(14.5%)、2010年の高齢化率は23.0%となり超高齢社会となりました。そして2018年には28.1%と超々高齢社会になっていたのです。

 

 

超々々高齢社会

 

超高齢社会になったのは団塊の世代によるものだと考えられますが、団塊の世代が高齢化率を上げる一方で団塊ジュニアが40代と高齢化率を引き下げてくれています。団塊ジュニアが65歳になる2040年は高齢化率が35%を超えると推計されており、超々々高齢社会となります。

 

2040年の「高齢社会白書」には高齢社会対策ではなく、日本人口白書となっているのではないでしょか。年齢で対策を行うにはあまりにも偏りが大き過ぎます。3人に1人が高齢者となるのですから、高齢者だけを対象にしても人口対策にはなりません。

 

なぜ高齢化が進むのかは第二次世界大戦後の反動と経済の発展からだという考え方が大方を占めていますが、もっと単純な考え方ができます。かつては乳幼児の死亡率が高かったので多産でなければ人口を維持できなかったのです。

 

 

 

多産多死から少産少死へ

 

乳幼児の死亡率を下げるために多くの対策が行われました。その結果、2017年に生後1年未満に死亡した乳児死亡数は減少し、乳児死亡率(出生1000対比)は1.9(0.19%)となりました。日本が高齢化社会となった1970年頃には1%程度だったことも読み取れます。

 

1970年代は団塊の世代が20代だった頃です。日本の経済も順調に発展し、新生児死亡率が減少しているにもかかわらず戦時中の産めよ増やせよの考え方を変えることがなかったがために団塊ジュニアの世代が登場しました。団塊の世代にも団塊ジュニアの世代にも責任はありません。

 

日本の人口政策の見誤りとばかりとは言えないでしょう。見誤ったなら正して新たな対応策を行うのが現代の国家のあり方です。責任ばかり追及して自らの義務を果たさないのは時代遅れです。過去は過去、未来は未来という考え方が必要です。

 

 

 

 


国をあげての人口政策をとるには

 

「高齢社会白書」には様々な現実の数字があげられ、それに伴った施策の数々が行われていると書かれています。確かに政府としての高齢社会対策の報告としては妥当でしょう。ただこれでは与野党が国会で舌戦を重ねても人口政策までは及びません。

 

少子化対策は行うべきか

 

高齢化と併せて問題視されているのが少子化で、少子高齢化と一緒くたに問題視化されています。少産だから高齢化に拍車をかけていると論じるのは算数的には合っていますが、多産にしても高齢社会は改善しません。

 

3617万人の高齢者を抱える超々高齢社会を高齢化率7%以下にするには、5億人以上の総人口にする必要があります。この人口は現実的な人数ではありません。そうなると高齢者の割合ではなく、日本の適正な人口はどのくらいかから考える必要があります。

 

適正な人口を計算し政策を練るのは専門の省庁に任せるとして、国民ひとりひとりがどのように対応していくべきかを考えるべきではないでしょうか。

 

 

人生50年時代から人生100年時代

 

第二次世界大戦直後の日本の平均寿命は約50歳でした。明治時代以前から寿命は平均寿命は延びていませんでしたが、昭和・平成にかけて急激に平均寿命が延びてきました。約50年前の1970年代に日本の高齢化が予測されていました。

 

 

ではなぜ予測されていたにもかかわらず何年も高齢化が問題視されているのでしょうか。日本ならずとも世界各国で人口が多いことが国力だと考えられています。特に日本では日本人の資質をもって手先が器用、技術力があると自他ともに認めている国民性から、人数が多ければ国力が増すと長い間信じられていました。

 

言いかえれば「質より量」の時代が続いたのです。平均的な質が高ければ総合力として日本の国力は高くなるし、高いまま維持できると考えてきたのでしょう。日本は道具を使うと世界有数の技術力があるのですが、コンピューターを使った技術力では世界的にも遅れをとっています。

 

 

人生100年時代の人口戦略とは

 

人生100年時代には年齢層別の使命と実行が必要です。大きく人生前半戦と後半戦に分け、さらに前半戦と後半戦を前後に分けます。つまり25歳刻み年齢層を分けると、0~24歳、25~49歳、50~74歳、74歳以上となります。

 

また、日本の国力を上げる上で「国力とは何か」を考えなければなりません。国民性・政治・経済・軍事・科学・技術・文化・情報など様々な分野で国力が評価できますが、これらに拘っていては今までと同じになってしまうでしょう。

 

私の個人的な考えでは、0~24歳は教育力、25~49歳は経済成長力、50~74歳は経済力、74歳以上は健康力を上げることを使命として、日々の仕事と生活を送るようにしてはどうでしょうか。もちろんこれらを実現するためには現行の制度や環境が適していないかもしれません。

 

 

 

 

 

人生後半戦の使命は経済力と健康力

 

人生100年を4等分したからと言って実際の年齢に合わなくてもかまいません。自分がどの分野で力を発揮できるかを考えてみてください。

 

経済成長力と経済力は異なります。経済力は経済を活性化させて社会を成長へ導く力です。経済力はすでに得ている経済力と経済力を利用する力です。私には経済力がないという人もいるでしょう。経済力がない人は他の人のアシスト(支援・補助)をする道を選んんではどうでしょう。

 

健康力とは医療と介護の世話にならない健康な「体・頭・心」を維持する力を養い育むことです。老人医療と老人介護に使われる金銭と時間の支出は少なければ少ないほど他の国力の低下を妨げません。

 

人生前半戦は教育力と経済成長力、人生後半戦は経済力と健康力、これらを国力の源とするのはどうでしょうか。

 

(つづく)